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日本史赤点だった自分がオトナになってから浮世絵、特に歌川広重にハマりまして。
広重推しとして、彼が描いた「六十余州名所図会 肥前 長崎稲佐山」をこの目で見るべく足を運びました。
こちらが「六十余州名所図会 肥前 長崎稲佐山」です。

この右上にある鳥居が萬福寺(現在の淵神社)。

長崎ロープウェイのふもとにあります。
絵では鳥居は海沿いにありましたが、埋め立てられたのでこの位置にあります。

そして、鳥居の前にある海に立てられた灯籠。こちらも埋め立ての際に淵神社に移設されているとのこと。
時系列的には、1500年くらいにポルトガル船が来て貿易開始→100〜150年後に灯籠や鳥居が建てられる→100年後に歌川広重が風景を描く。という感じです。
ざっくりしか覚えられないので、恥ずかしいですが、こんな感じ。
行くっきゃない!
ちなみにこの絵ですが、歌川広重は実際にここに来ていない説が濃厚とされています。
当時の画師が描いたガイドブックの挿絵を参考に、広重風にデフォルメしたものが作品としてウケていたんだそう。
当時の画師たちの作品は「長崎歴史文化博物館」で見れるとのことで、こちらにも足を運びます✊️
淵神社と長崎ロープウェイ
ロープウェイ近くまで長崎駅からバスで移動します。歩けなくない距離だけど、すごく暑かったのでバスを利用しました。
バス乗り場はここ!
こんな張り紙がしてありました。3か4のバスに乗れば着きます。

路面電車とバスが次から次にくる。

全然関係ないけど、1年に使うバスの利用料が一番高い県が長崎なんですって。
なんか分かる気がします。街がギュッとしているから歩ける距離に何でもありそうなんだけど、坂が多いから利用する人が多い印象でした。
で、バスに乗ったはいいんですが、久々すぎて、「下りるバス停の前でボタンを押す」システムを失念。
ひとつ向こうのバス停で降りました。

なんのためにバスを利用したんやってぐらい歩きました。(気温38℃)

坂を登った先に⋯

胸熱!

入ってすぐ右手に灯籠もありました。

胸熱。
そばに説明書きがありました。

ペンネームの「歌川」じゃなくて、「安藤」(本名)で案内されてて興味深い。なんでやろ?
せっかくここまで来たので長崎ロープウェイに乗ることに。
こんな感じのゴンドラに乗って頂上へ。

ロープウェイから見える長崎スタジアムシティは福山雅治さんが建てたのかガイドさんに伺ったら、2年前にジャパネットタカタさんが三菱重工工場の跡地に作ったと教えてくれました。
駅から歩いて行けるし、食べ物屋さんもたくさんあるし、これは便利!
話が変わるけどさ、最近Bリーグのおかげで駅近にアリーナがたくさん建ってるじゃない。
音楽のライブとかやってくれるとオタクたちはすごく便利じゃない。
オタクって課金は厭わないからさ、移動や宿泊にお金落とすじゃない。
どんどんライブやってほしいよね!行くし。
軽率にお金落とすし。
(なんの話や)
えーっと、そうそう。ロープウェイ。
頂上についてからさらに歩いて登ります。結構歩く。

展望台からの眺めは最高でした!


軍艦島が意外と近くにあるの、びっくりしました。

五島はすごく遠いらしくて見えない。
行ったことないけど、お土産にゴトジンっていうジンをいただいてからすっかりファンです。
キングオブジンです!(私調べ)

絶対旅のどこかでゴトジン飲むんだ♪
ちなみに長崎ロープウェイは昼間もいいですが、夜景が綺麗なので夜に行かれるのもオススメです!

長崎歴史文化博物館
長崎駅から歩いて15分。
長崎歴史文化博物館へ参ります。レッツゴー!

とにかく坂が多いです!距離的にはそうでもないけど、傾斜の負荷で痩せそうです。



とまらんば。止まりましょうって意味かな??可愛い。

道にはたくさん爆竹のゴミみたいなのが落ちていました。
お祭りのなごりかな?

長崎歴史文化博物館に到着!
傾斜に建っていてトリックアートみたいでおもしろい。

ここから日本史の知識が底辺のわしが博物館で感じた率直な感想を、写真と共にツッコミ形式で紹介していきます。(間違ってても御愛嬌)
ハンコ
徳川家康が商人とかに発行した海外に行ってもいいよ。の証書。
なんか簡単に偽造できそうなもんだけど、どうなんやろ。
そして、当時はハンコが絶対的に信頼されてたんやろうな。
令和の今もその文化が廃れてないってすごいな⋯。

靴を履かせて差し上げろ
ポルトガル貿易の様子を描いた屏風。

なんでポルトガル人は靴みたいなの履いてて、使用人は裸足なんだよ!
使用人にも履かせてくれよ。靴。


砂糖の激アツイベント
貿易の要の砂糖はトレーサビリティがっちがち。
でも2つだけ例外があって、運んでる最中にこぼしちゃったこぼれ砂糖と、遊女がポルトガル人からもらえるもらい砂糖。
なにその激アツイベント。


今でも街に歴史が息づいていて胸熱
中華街はもともと中国の人が暮らしていた区域だったってことね。

石崎さん絵うまい
長崎で活躍した画師の石崎さんが描いたオランダ貿易の様子。
広重は石崎融思さんの画も参考にしたのかなぁ。

この絵によると出島の一角にガーデニング兼、食用の孔雀を飼育しているエリアがあったらしい。なんかパーゴラみたいなんもみえるよね。
今も出島に行ったらあるのかな??

靴を履かせて差し上げろ(2回目)
オランダ貿易の絵。
オランダ人もやってんな。
何度も言わすな!使用人の方に靴を履かせて差し上げろし!
ガラスも伝来してただろうに。危ないでしょうが!
子供がまだ食ってる途中でしょうが!

⋯と思いきや、使用人、裸足でバトミントンしててほっこり。

えー!ピースフル!🫶
自分が思っているほど劣悪な環境じゃなかったのかも。
ちなみにこの当時出島は普段は15人ぐらい住んでいて、年に1億円ぐらい家賃払ってたんですって。たっか!港区ですやん。
シーボルトさんの解像度上がった
シーボルトさんが活躍していたころの医療の指南書。悪い血を抜く治療の挿絵。

マンモグラフィ受けてる私すぎる。

シーボルトさんがいたころの長崎の様子らしい。

のちに描かれた広重の絵とちょっと似てる?


ところで教科書に出てくるシーボルトさん。ぼんやり習った記憶は、医者でなんらかの罪を犯して国外追放された人。っていう、ね。(よく卒業できたな。わし。)
なんで彼が教科書に大げさに載るのか不思議だったんですが、なんか分かった気がします。
まず、シーボルトは日本について調査するのが目的でオランダ政府から派遣された人で、江戸の参勤を利用して道中の植物や鉱物、地理など調べに調べまくった。
そして、意識高い日本人らに西洋医学を教える代わりに、日本全国から集まった彼らから御当地の珍しい植物や標本や資料をもらっていた。
で、ついに伊能忠敬のリアルマップを手に入れたんだけど、幕府が「え?忠敬のマップは違くない?」ってことで国外追放になった。
まぁ、当時はGoogleMapもないから、地形、それも島国の地形を海外に知られるって軍事的にだいぶ脅威だったそうな。
で、追放されながらも無理くり持って帰った資料たちを元に書いた本「日本(ジャポニズム)」を出版してヨーロッパへ完璧に日本観を広めた。アメージングジパング。
日本に西洋医学を広めてヨーロッパに日本の魅力を伝えた人。それがシーボルト。
ちなみに当時日本はオランダと中国しか開国していなかったのでドイツ人のシーボルトは「オランダ人ですが何か」と出身を偽って入国。
日本人に「なんでそんなに喋り方が変なんだ」と疑いをかけられると「自分田舎出身なんで。訛りなんで」と切り抜けたそう。
はい。おもしろい。
シーボルトおもしろい。
ちなみに国外追放の際、お滝さんという日本人の奥さんと愛娘(2歳)は一緒に連れて行ってはならぬという幕府からの命令で、家族が引き離されてしまった。
で、30年後に再会を果たす。(でも二人とも再婚済み)
娘はシーボルトの弟子を師と仰ぎ、日本人初の女性産科医になっていた胸熱展開。
なんか、こういうドラマティックさがウケて教科書に載ってるんじゃないかと思いました。
ちなみに、愛妻のお滝さんの名前をつけたあじさい「オタクサ」はこちら。↓
可愛い色味だね🥰
入国審査ガバガバ
シーボルトに続いて入国してきたこの医師たちも身元を偽っていたらしい。(ドイツ人とスウェーデン人)


ガバガバ。
たぶん、実はペリーも容易く入れたんじゃないか??
わたしっていうか、ツュンベリーの正しい発音誰か教えてクレメンス。
リョーマとプリクラ
坂本龍馬さんと一緒に写真を撮れるコーナーもありました。
当時は15秒じっとしている必要があったとか。


リョーマとプリクラみたいで楽しい。


で、坂本龍馬は結局なにした人なのか未だに分かってない。追々学ぶとす。
今もあるゴルフ場で日本で2番目に古いゴルフ場。雲仙ゴルフ場。
胸熱。


異文化が恐怖やったんかな
踏み絵の歴史。
悲しみ深い。


隠れキリシタンの人々は観音様にしかみえないようなマリア観音を作って祈りを捧げることで、仏教に信仰深いように見せてたんだとか。


長崎奉行の裁判を行っていた建物の再現。
シーボルトさんもここで裁かれたんだとか。


こんな感じで4時間くらい博物館を満喫しました!
本当はもっといたかったのですが、喉がカラカラで干からびそうになったのであえなく退館。
また訪れたいと思います✊️
出島
最後は出島へ参りました。
埋め立てられているから街のなかにあるよ。


何十年前かに修学旅行で来たはずだけど1mmも覚えてないよ。


建物は再現されたものと言えども、この土地で実際貿易が行われたと思うと胸熱です。


博物館で見た藤棚みたいなのは、ぶどう棚でした。




花壇もありました。
ヨーロッパの植物を育てていたそう。


展示も面白かったです。
オランダ船が運んだ植物の紹介。




園芸品種として今でも売られている種類が多くてびっくり。
ず〜っと愛されていると思うと胸熱です。
長崎の街を歩いた感想
観光客とそこで暮らす長崎の市民が混ざってて、観光地なのに観光地っぽくない感じ。
長崎の暮らしの中に、我々がおじゃまさせていただいている感覚。
修学旅行に来たときはThe・観光地をバスで移動してただけなので気づかなかったのかな。
バスも、お店も、道行く人も、風景もすべて昔からここで暮らす人がいたんだなぁって感じられて胸熱でした。
絶対にまた来たい!今度は五島と雲仙に行きたいです!
次回は長崎で食べまくったグルメを紹介します!
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